まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

山陰線「○○のはなし」に乗りに行こう~青海島遊覧船

「○○のはなし」を下車して仙崎に向かい、道の駅センザキッチンの一角から出航する青海島遊覧船に乗り込む。ちょうど左の最前列の席が空いている。

この日は西からの風が強く波も高いということで、外海から青海島を一周するコースではなく、島の南東部にある大島コースでの運航である。シートに座っているが、窓を開けて潮風を直接受けることができる。

まずは仙崎港を出て、左手に青海大橋を見る。橋の完工式が行われたのが1965年のことで(完成は翌1966年だが)、今年「還暦」を迎えるとある。橋で結ばれているといっても、今となっては本土と陸続きの感覚ではないかと思う。

夏ミカンの原木の案内がある。江戸時代中期、この海岸に流れ着いた柑橘類の種を育てたのが夏ミカンの始まりという。後に萩で多く栽培されるようになり、シンボルの一つとなった。山口県のガードレールの色も夏ミカンである。

青海島と大島の間を抜ける。遠く前方には萩の沖合の離島群がかすかに見える。左手の青海島の岩肌も目立つようになる。青海島は「海上アルプス」とも称され、特に北海岸の奇岩や洞窟を遊覧船でめぐるのが売りであるが、時季的なこともあり見られないのは致し方ない。

少しずつ波が高くなり、しぶきもあがる。そろそろ外海に来たかな。岩がポコポコ海上に姿を現れているところは松島である。

続いては、高さ80mほどある屏風岩。

そして、ここまででもっとも奇岩といえる仏岩へ。袈裟を着て頭巾をかぶった坊主が東の方角を向いて合掌しているように見える・・。中央に金色に光るのは数珠をイメージしているという。それにしても、どこをどうすればこのような形の岩になったかなと、自然が造り出した奥深さにうなるばかりである・・。

遊覧船はここで折り返すことになり、大島とその周辺の島、岩場を抜けながら進む。岩がくり抜かれた洞門もあるが、さすがに遊覧船がくぐれるだけのスペースはない。この一帯は青海島一周コースでも訪ねない大島コースならではで、これはこれで景色を楽しむことができた。

ともかく、列車だけでなく遊覧船にも乗ることができた。「○○のはなし」の往復完全乗車として東萩まで行って折り返したこともあったが、その時よりも長門市、仙崎の時間のほうが充実したように思う・・。

下船後、センザキッチンで自分土産の買い物とする。そして仙崎駅へ。

駅に着くと、「○○のはなし」の東萩からの便がちょうどホームに停まっていた。新下関からの往路は長門市を発車後、そのまま山陰線で東萩に向かうが、東萩からの復路は長門市に到着後、いったん進行方向を変えて仙崎への支線に入る。仙崎では30分あまりの停車時間があり、JRとしては折り返し時間を利用してセンザキッチンを訪ね、買い物をしてほしいという思惑があるそうだ。

来た時には閉まっていた駅舎内の一角の扉が開いていた。「作詞家 大津あきら回顧展」とある。この大津あきらという方、仙崎出身の作詞家である。1980~90年代を中心に活躍し、多くのアーティストに詞を提供した。

そういえば先ほど訪ねたセンザキッチンに、徳永英明「輝きながら・・・」の歌碑があった。一瞬、「徳永英明って長門の出身だったっけ?」と思ったが、作詞家の故郷である。

その大津あきらは1997年に47歳の若さで病死。仙崎のシンボルである金子みすゞも若くして亡くなっており、現在は同じ菩提寺にて葬られているという。詩人というと早逝のイメージが強いのはなんでだろう・・。

さてホームには「○○のはなし」がしばしの停車中である。復路に乗車するのは2号車の洋風車両。「西洋に憧れた日本」がテーマである。今度は海側を向いた2人掛けのベンチシートである・・・。